なぜいまイノベーションが求められるのか? /小川育男

COLUMN

イノベーションという言葉には、なんだかわかったようなわからないような不思議な語感がある。それでいて、近年はイノベーションの重要性が叫ばれている。試みに、2022年6月7日に岸田内閣で閣議決定された「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画 *1」で「イノベーション」が使われている回数を数えてみると、本文35ページで34箇所、ほぼ1ページに1回出てくる計算になる。しかし、イノベーションの明示的な定義は見当たらない。かといって、イノベーションの定義をしようと文献を紐解くとシュンペーターから始まり、さらにわかったようなわからないような話が続く。*2

*1.https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/pdf/ap2022.pdf
*2.覗き見てみたい方は「オープンイノベーション白書第三版」にざっとした歴史が載っているので、参考にしていただきたい。

そこで、ここでは別のアプローチをとってみよう。なぜイノベーションが求められるのだろうか。イノベーションの代表格ともいえる産業革命は、欧州の市民革命やグローバリズムという外部環境の急激な変化とともに始まったといえる。またシュンペーターがイノベーション(新結合)を語ったのは、世界大戦前後の政治経済ともに不安定な中でのことである。これらを鑑みるに、イノベーションが求められる背景として環境の急激な変化を大きな要因として指摘することはあながち間違いでもないだろう。

では現代ではどんな変化が起こっているというのか。すべての変化について語ることなど到底できないので、ここでは事業を行う環境として重要だと思われることを、テクノロジーの変化と規制の変化の2つに大きく分けて考えてみよう。

変化の切り口1:テクノロジーの変化

テクノロジーの変化には2つの観点がある。テクノロジーそのものの変化と、テクノロジーを社会実装する方法の変化の2つだ。

テクノロジーそのものの変化はさまざまな領域で取りざたされているが、顕著なのは、ITとバイオテクノロジーの革新である。とはいえ、実はこの2つの領域の理論的な革新は20世紀後半には出そろってきており、いま取りざたされているのは、半導体技術の進化により計算量と記憶容量および伝送容量が飛躍的に伸びたことに起因するところが大きい。平たく言えば、理論に基づいた想像でしかなかったものを実現することができるようになってきたということだ。それに伴い、理論的な課題より実装上の課題のほうが目立ってきている。例えば、倫理的な課題や社会的な効果・副作用の問題、ユーザの受容意識の問題などがある。また、テクノロジーの高度化に人の思考や生活習慣の変化がついていけないという課題も顕在化しているところである。

一方で、20世紀後半と比べて様変わりしている領域は、テクノロジーの社会実装のあり方だろう。シリコンバレー型スタートアップの隆盛である。そこでは、ベンチャーキャピタル(VC)とM&Aを行う大企業を淘汰圧とした自然淘汰の仕組みに近いものが形成されている。さまざまなテクノロジーと着想を持つ数多のスタートアップが次々と興り、VCは彼らに資金を提供したのちにIPOやM&Aによりその資金を回収する。この過程でテクノロジーが社会実装されていく。よくできた仕組みである。ただし、これが近年起こっている変化ではない。むしろ、このモデル自体は既に確立され各国・各地域で模倣されている。しかし、ここで変化として取り上げたいのは、このシリコンバレー型スタートアップモデルからの脱却という方向性である。

シリコンバレー型スタートアップモデルが機能するにはさまざまな前提条件がある。そのひとつは、VCのビジネスモデルを支えるための急激な成長期待だ。VCから得た潤沢な資金を使い、グローバルマーケットを視野に入れ、足元の利益より成長ポテンシャルのほうが優先される。また、急激な成長を推進するための高度な人的資本の調達可能性も重要な条件のひとつである。つまり、潤沢な資金・グローバルマーケット・高度な人的資本のそれぞれへのアクセス可能性が確保できてはじめて成り立つモデルといえる。

こうした条件が厳しすぎることは想像に難くないだろう。アフリカのような新興国や日本国内の地方都市などでのテクノロジーの社会実装を考えたときに、果たしてシリコンバレー型スタートアップのモデルがそのまま通用するだろうか。こうした疑念に基づき、さまざまな試行が開始されていることに目を向ける必要がある。まだ決定的な代替策が出てきたわけではないが、成功報酬型の資金提供*3やステークホルダーの経営参画*4など、どうしたら持続可能な形でテクノロジーの社会実装を続けられるかが模索されている。こういう流れ自体が大きな変化だ。

変化の切り口2:規制の変化

ビジネスにおいて税制や会計制度、許認可含めた法制度などは不可欠な事業環境であり、それらの規制の変化はビジネスにとってきわめて重要な事象である。それらは国内の動向を見ておけば十分と考えられがちだが、そうとも言えなくなってきている。これが次の大きな変化の切り口だ。

例えば、経済安全保障という言葉を考えてみよう。これも「新しい資本主義」の中で強化すべき事項として取り上げられている事柄だ。この言葉も残念ながら文書内では明確に定義されていないが、推察するに、国際情勢を踏まえた上で国民生活を安全に営むために必要な資源の確保といった意味合いで使われているようだ。すなわち、国際関係が国内の経済活動にダイレクトに影響せざるをえなくなっているということを示している。もちろん、日本は貿易立国ともされており、国際情勢が国内経済に影響を与えるのはいうまでもないが、金融や為替といった側面だけではなく、さまざまな国内の規制に関しても外交を含めた国際情勢の影響が強くなってきているといえるだろう。

ここで21世紀初頭を振り返ってみよう。当時はパックスアメリカーナのもとグローバリズム一色であり、マクルーハンよろしく世界はグローバルヴィレッジ*5と化するかの様相だった。その世界では、議論を経て世界共通のルールを作り、そうして明文化されたルールに則り、公平にビジネスが営まれることが目指された。そんな歯車の軋みが目立ち始めたのはいつ頃からだろうか。持たざる国と持つ国の格差は縮まらず、先進国とされる欧米諸国に有利であるようにルールが作られているのではないかという疑念が、先進国内ですら生じてきた。

そんな中に台頭してきたのが中国だ。世界最大の人口を擁する大国として中国は経済成長を遂げ、米国に迫る過程で米中の対立が顕在化してきた。その詳細はともかくとして、米ソ冷戦期との大きな違いとして捉えるべきなのは、この対立が資源の獲得競争の様相を呈しているところだ。もちろん、昔からエネルギー等の資源は争いの種ではあるが、物質的なハード面だけでなく、製造ノウハウや人的リソースなどのソフト面も囲い込むべき資源とみなされている。いまホットな台湾をめぐる小競り合いなども、少なくともビジネス面では、半導体生産拠点の争いとしてみるべきだろう。もはや各国は、これら資源の獲得競争を有利に進めるために、自国の規制を当たり前のように使うようになってくるといって過言ではない。誰もが反対しにくいSDGsやESG*6的な考えに基づいた規制ですら、その側面を完全に無視することはできなくなるはずだ。

以上、2つの切り口で我々の置かれた事業環境の変化をみてきた。これらの変化の帰結として、ビジネスに対する価値観もこれからずいぶんと変化していくだろう。イノベーションが必要であるという場合には、こうした変化のどういった面に対応するのか、どこに乗じるのかを考えなければならない。つまり、イノベーションについて語る前に、それが求められる背景として生じている変化を正しく認識する必要がある。

*3.成功報酬型の資金調達はRevenue Based Finance(RBF)と呼ばれ、海外ではいくつか大きなプレイヤーが出てきている。日本でもいくつか実施しているところがある。
*4.従業員の経営参画やユーザの経営参画(例えば、Web3などもここに入りうる)、地域住民の経営参画などなど、ステークホルダーにもいろいろなパターンがある。
*5.初出は違うらしいが、マクルーハンの1962年の著書『グーテンベルクの銀河系』で広まった用語。 
*6.Environmen(t 環境)Socia(l 社会)Governance(ガバナンス)の頭文字をつなげた言葉で、それらに配慮した投資原則を指す。

小川育男 Ikuo Ogawa

スカイライト コンサルティング株式会社 リードエキスパート

新規事業立ち上げおよび起業のコンサルティングを専門とし、投資事業を担当。
大阪大学基礎工学部生物工学科、同文学部哲学科を卒業後、電通国際情報サービスにて、システムエンジニアとして金融、流通サービス、広告などの企業を対象としたネットサービスや業務情報系システムの開発、ミドルウェアを中心とした要素技術や開発手法の研究開発などに従事。
スカイライトコンサルティングでは、事業立ち上げや事業企画のコンサルティングを実施しつつ、2007年からシード投資および投資先の事業・経営支援を実施。2014年頃から、世界各国を拠点にするVCと連携し、ロシア、東南アジア、欧州、アフリカ、中南米等の国外のスタートアップの調査・支援を行っている。

Skylight Consulting Inc.

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