2023年2月24日から26日、インドのケララ州にて、視覚障害者が自ら社会課題解決のアイデアをブラッシュアップするアイデアソンが開催された。
南南西にインド洋の宝石モルディブを望む南インドの風光明媚な港町ケララ州コーチン。かつてユダヤ人たちが住み、インドではめずらしくキリスト教会も多い、どことなくヨーロッパっぽい雰囲気も漂うこのコーチンに、今年2月末、現地の視覚障害者支援団体が声を掛け、視覚障害者20名が集まった。International Blind Football Foundation(以下IBF Foundation)主催の3日間のアイデアソンに参加するためである。アイデアソンとはアイデアとマラソンをかけ合わせた造語で、チームを組み決められた時間内で新しいアイデアを生み出し、結果を競うイベントだ。
なぜ視覚障害者のアイデアソンなのか。主催のIBF Foundationは「ブラインドサッカーで人と知恵をつなぎ、視覚障がいに解を出す。」をミッションとしている。その解を探るひとつの方法として、見えない人*1自身に自分たちの課題の解決策を考えてもらおうという取り組みが企画されたのである。弊社はスポンサーとして本企画に構想から参画した。
1.便宜上「見えない人」という表現を使うが、全盲だけでなく弱視も含まれる
我々にはひとつの仮説があった。いままでの「解」は見える人が見えない人の課題を想像して考えるしかなく、それは本当に見えない人の課題に到達しているのだろうか。見えない人の課題は見えない人自身が描き出すほうが的を射た解が得られるのではないだろうか。見えない人自身によるアイデアソン。それはこの仮説の検証でもあった。
アイデアソンは、2泊3日、初日の午後から始まり、最終日の正午過ぎに終わる正味2日間の日程で行われた。見えない人の負荷にならないよう、全員が宿泊するホテルの会議室を借り、途中のアクティビティ以外、ほぼ終日その会議室内で実施された。参加者は5つのチームに分かれディスカッションを重ねていく。
見えない人たちが主役のアイデアソンである。正直、どのような展開になるのか想像がつかなかった。例えば、進行の説明はすべて言葉である。スライドや図などでの説明は使えない。ワークショップではよく使われる模造紙でのメモなどもなしだ。ただし、見えない人たちはスマホやパソコンは使える。読み上げや音声入力機能等を駆使し、記録することはできる。また議論の途中、見える人がサポートした。
ブラインドサッカーでもキーパーは見える人が担う。今回、ブラインドサッカーのインド代表チームのゴールキーパーも参加した。プログラムは大きく前後半の2部構成になっている。ほぼ全員がアイデア化(アイディエーション)を行うワークショップなどは未経験で、課題や解決策を見えない人同士で議論するという経験もほとんどない。そこで、課題を議論し定式化したのち解決策を練るというプロセスを、チームを変え、2回繰り返したのである。中日の正午を境とし、前半はTrial Round、後半は Final Roundとして実施した。
なお、参加者20名のうち、男性は18名・女性は2名、全盲が15名、弱視*2が5名だった。平均年齢は31.4歳、最年長57歳、最年少20歳だ。なるべく属性をならそうとしたが、ケララ州はマラヤーラム語が標準であるのに対し今回は英語を基本としたため、英語を使えるかどうかでかなり制約がかかった。女性を増やそうともしたがそこはインド特有の事情もあり難しかった。
2.弱視とは視力が著しく低い、あるいは視野が狭い、またはその両方などの障害をさす
アイデアソンの運営自体は想定以上にスムーズであった。インストラクションが言葉だけであるため、ときおり英語だけでは足りず、マラヤーラム語での説明し直しが必要な場面もあったが、大きな混乱はなく粛々と進んでいった。このあたりはブラインドサッカーの試合の運営やブラインドサッカーを使ったチームビルディングワークショップなどで見えない人(あるいはアイマスクで見えない状態にした見える人)たちに対してさまざまなイベントを行ってきた経験が活きていたと言えるだろう。
もちろん、議論の中に入っていくと、課題の定式化を要求されているときに解決策のアイデアフラッシュになってしまっているというようなことはあった。しかし、これは、例えば大学生対象のアイディエーションワークショップ等でもよくある話である。これに関しては同じことを2回繰り返すというプログラム構成が功を奏し、参加者が実地でアイディエーション手法を学び、2回目にはかなりこなれた議論の経過を見ることができた。
アイデアソンの最終日、Final Roundのプレゼン(といってもスライドを使うわけではなくスピーチ)の結果、最優秀賞とスポンサーである弊社の冠賞の2つが選定された。最優秀賞は「インドのバス停留所にて、乗りたいバスがわからないという課題への解決策」、スカイライト賞は「リフレクソロジーやセラピーの施術技術の習得を支援し、視覚障害者の就労機会の拡大につなげる」というアイデアであった。ここはインドである特異性が出たと言える。いずれも日本から見ると既にありそうな解だからだ。しかし、特に後者に関しては、インドでは視覚障害者がマッサージ師として活躍するということはあまりないという事情があるらしい。
さて、ここで最初に提示した仮説に戻ってみたい。仮説は「見えない人の課題は見えない人自身が描き出すほうが的を射た解が得られるのではないだろうか」だった。結果から見ると、この仮説はネガティブに評価せざるを得ないように思える。当事者である見えない人が自分たちの視点・経験を踏まえてとらえた課題であり、解決策であるので、当然説得力はある。しかし、見える人が見えない人の状況を想像したときに思いもつかないアイデアかと言われれば、そうではない。もしかしたらもっとアイディエーション手法に習熟すれば、自分たちの状況により即したより独創性の高い結果が出てくる可能性もある。が、それは環境の解釈や分析に通じるということであり、当事者であることの利点ではない。
『目の見えない人は世界をどう見ているのか』の著者の伊藤亜紗は、エストニア生まれの生物学者ヤーコプ・フォン・ユクスキュルの提示した「環世界」という概念を用いて見えない人と関わっていくことをその著作の狙いとしている。ユクスキュルはあらゆる生物がそれぞれの知覚器官や作用器官により外界を意味づけしそれぞれの世界を構成していると考え、その構成された世界をそれぞれの「環世界」と名付けた。この環世界という概念を使うと、見えない人は見えない人の環世界を構成しているはずであり、それは見える人の環世界とは違う。見える人から視覚を取り去ったのではなく、そもそも視覚以外の知覚で世界を構成していることになる。
この自身の環世界をつぶさに見れば、違った環世界を持った人とは同じ事物でも別の見え方がするはずである。つまり、同じ事象だとしてもとらえ方が変わり、別の課題を切り出し、違ったソリューションを作り出せる。しかし、そうはならなかった。なぜだろうか。
ひとつ考えられる理由は、見えない人が見える人の環世界に多大な影響を受けていること、つまり、見えない人は自分の環世界ではなく、見える人の環世界を想定したうえで、そこに対する課題を考えてしまうということだ。これは学生起業家が、自分は会社で働いたことがないのに、一般の会社を想定して、上意下達のガチガチの組織を作ってしまうのに似ている。支配的なモノの考え方(と想定されているもの)を乗り越えるのはいかに難しいかということである。
新規事業の企画の過程では、その事業の対象となる当事者に聞くことが重要だとされる。もちろん、聞くこと自体は重要だ。しかし、当事者自身が自分たちの課題に気づいているとは限らない。言われてみればそのとおりなのだが、ついつい見過ごしがちなことではないだろうか。障害を持つというマイノリティに対してだけでなく、企画者と違った環世界を持つ顧客、例えば、他国の人たちやZ世代などにも同様のことが言える。
どうすれば当事者の本当の課題を理解し、価値の高い製品・サービスを作り出せるのか。そんなことを考えながら、今後もこういった取り組みを続けていきたいと考えている。
小川育男 Ikuo Ogawa
スカイライト コンサルティング株式会社 リードエキスパート
新規事業立ち上げおよび起業のコンサルティングを専門とし、投資事業を担当。
大阪大学基礎工学部生物工学科、同文学部哲学科を卒業後、電通国際情報サービスにて、システムエンジニアとして金融、流通サービス、広告などの企業を対象としたネットサービスや業務情報系システムの開発、ミドルウェアを中心とした要素技術や開発手法の研究開発などに従事。スカイライトコンサルティングでは、事業立ち上げや事業企画のコンサルティングを実施しつつ、2007年からシード投資および投資先の事業・経営を支援。2014年頃から、世界各国を拠点にするVCと連携し、ロシア、東南アジア、欧州、アフリカ、中南米等の国外のスタートアップの調査・支援を行っている。